賀茂村の民話 城福寺の如来さま


城福寺(じょうふくじ)は今も宇久須の芝地区 珪石を船に積んでいる東海工業の
裏にあります。60年に1回ご開帳があり如来様を拝見する事ができます。
実際には30年に1回半開帳がありますのでその時見ることができます。
でも数年前開けたので次回はずっと先。

城福寺の如来さま

むかし、宇久須の山すそに城福寺という古い寺があった。

この寺には行基菩薩というえらい坊さんの彫ったといわれる

大層りっぱな木彫りの大日如来さまの像がまつられていた。

金色にかがやくこの仏さまをおがんでいると、

里人の心はいつのまにかなごやかになり、

この世の苦しみも悲しみも忘れさせてくれるのだった。

そんなある年、伊豆の海に大きな津波がおそった。

宇久須の里では、浜辺の家々も山すそにあった城福寺も

あっというまに津波にさらわれてしまった。

この津波のために寺ではたいせつにおまつりしていた

大日如来さまも波にさらわれてしまった。

この如来さまがなくなってからというものは、

どういうわけか里にいろいろな災難がおこるようになった。

ある年は長いあいだ日照りがつづき、稲がみのらないため、

里人は食べ物がなく苦しんだと。

またある年には、里にはやり病がでて、手の施しようもなく、

つぎつぎに大勢の老人や子供が死んでしまった。

こうした災難にあうたびに里人は、如来さまがなくなったのを悔やむのだった。

「あの、如来さまがいてくんなさったら、こんな災難なんぞうけずにすんだずらになあ」

「いったい如来さまは、おれたちわおきざりにして、どこへ流れていったずらや」

とね話し合いながら如来さまを心より慕っていた。

それから、いく年かの年月が流れていった。

ある年の夏のこと、南伊豆の子浦の漁師たちは、

毎日のように浜辺で地引き網をしていた。

どうしたわけか、いつもの年よりよくさかながとれ、漁師たちは大喜びだったと。

来る日もくる日も大漁で浜はちょうど祭りのようににぎわっていた。

そんなある日、またしても地引き網にたくさんのさかながはいった。

子浦の漁師たちは里じゅう総出で、かけ声も勇ましく 

網の中にはさかながびっしり入っていた。

その時、ひとりの年とった漁師が

網の中で金色にきらきら光るものを見つけ、

「あっ、なにか光るものがあるぞちょっとまて、ちょっとまて」と叫んだ。

おどろいた漁師たちが網をのぞくと、そこにはたしかに

金色にかがやくりっぱな大日如来の像が入っていたそうな。

漁師たちは後光のさした如来さまの像にしばらくのあいだみとれていた。

若い漁師は、船の上からさっそく海に飛び込み、如来さまをだあげた。

「この如来さまは、由緒あるものにちげえねえ、

このままにしておいては、ばちがあたってしまうべえ」ということで、

とりあえず漁師の親方の家にたいせつにおまつりしたそうな。

子浦の里では、それからも豊漁がつづいて浜はたいへんにぎわった。

里人たちは口ぐちに、「こんなにさかながたんととれるのは、

きっとあの如来さまのおかげにちげえにゃあ」としきりにいいふらすのだった。

このうわさは、いつか方々にひろがり、やがて、

宇久須の里にも伝わったのだった。宇久須の里人は、このうわさを聞いて

城福寺の如来さまかもしれないと思い、はるばる子浦の里をたずねた。

里人が一目見ると、まぎれもなく木彫りの仏像は城福寺の如来さまだったと。

そこで、くわしくそのわけをはなし、漁師の親方から如来さまをもらいうけ、

よろこんで里に帰り再び城福寺におまつりしたそうな。

それからというものは、宇久須の里では災難もなく、

もとのようにみんな平和にくらすことができるようになったと。

以上賀茂村教育委員会発行 賀茂村のでんせつ より


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